ジャッキー・チェン

ジャッキー・チェン ( Jackie Chan 成龍)

ジャッキー・チェン

ジャッキー・チェン ( Jackie Chan 成龍)プロフィール
生年月日 :1954年4月7日
出身地 :香港
身長 : 174cm
血液型 : AB型
出生名:陳港生
英語名:Jackie Chan
7歳から京劇を学び、中國戯劇學院に入学。1971年、中國戯劇學院卒業後は、陳元龍の芸名で数年間映画に出演した。一時期オーストラリアに移住したが、1976年に成龍の芸名で「新精武門」に出演し、以後「蛇拳」,「酔拳」などの作品で大ブレイク。


 

少林寺木人拳

ジャッキー・チェンの少林寺木人拳.jpg


 

ジャッキー・チェン インタビュー(2000年 シネマトゥデイ)
─ 『シャンハイ・ヌーン』で得た名声をどう思いますか?

ジャッキー・チェン ; 「アジアではビッグスターは僕ひとりだけ。でもアメリカでは僕はスターの中のひとりにすぎない。でも『シャンハイ・ヌーン』は今まででいちばん成功しているからこれからどんどんいい方向に変わっていくだろうね。」

─ スタント無しでやっているというのは本当ですか?

ジャッキー・チェン ; 「本当だよ。ジャッキー・チェン映画はフレッド・アステアやジーン・ケリー映画のようなものなんだ。トリック無し!特撮なし!アステアやケリーのようなダンサーからはいろいろ学んだよ。」

─ どのようにやるんですか?

ジャッキー・チェン ; 「リズムだよ。これがいちばん大事なんだ。リズム感を持たない運動選手は大成しないだろ。パンチにもキックにもステップにも正しいリズムがあるんだ。そのリズムを見つけなきゃならないんだよ。」

─ そのようなトレーニングをどこで受けたのですか?

ジャッキー・チェン ; 「香港の中国歌劇研究所でだよ。本当だよ。両親がぼくが7才の時にそこへ入学させたんだ。朝5時から真夜中まで、週に7日、10年以上も音楽、ダンス、マーシャル・アーツを学んできた。千占元(Yu Jim-yuen)先生のもとでね。先生はぼくの師匠。先生から僕はいろいろ教わった。先生は自分のお金でぼくを食べさせ服を着せ守ってくれたんだ。めんどうを見てくれた。中国歌劇の最高の訓練をぼくにしてくれたんだ。チャールズ・チェンは陳港生(チャン・コン・サン/ジャッキーの本名)の父で、ジャッキー・チェンの父は先生なんだ。」

─ これだけ成功してもまだジャッキー・チェン映画を作るのは難しいですか?

ジャッキー・チェン ; 「悲しい事にそうなんだ。それが僕が常に自分の映画をコントロールしている理由だよ。ジャッキー映画を作るにはそれが唯一の方法なんだ。自分がコントロールしていればぼくを覚えてくれる観客ができるしね。」

─ 何か哲学はもっていますか?

ジャッキー・チェン ; 「自発性。それが僕の人生の哲学だ。僕の生活にスケジュールは無いんだ。アポをとったりするのは嫌いなんだよ。自分がしたい時にしたい事をするんだ。」

─ ご家族について教えてもらえますか?

ジャッキー・チェン ; 「妻がいる、とてもいい妻だよ。昔は林鳳嬌という台湾の女優だった。あと息子がいるよ。1983年に生まれてアメリカではジャクソンと呼ばれているんだ。両親はチャールズ・チェン、リーリー・チェン。今はオーストラリアに住んでいるよ。僕が成長するまでは香港のオーストラリア大使館の使用人部屋で暮らしていたんだ。父はコックで母は家政婦をやっていた。それから1960年にオーストラリアへ移って父はアメリカ大使館でコックをしていた。」

─ スタントを自分でやっていると傷が絶えないでしょう?

ジャッキー・チェン ; 「そのとおりだよ!傷はいっぱいあるんだ。映画を作る時に怪我をするのは大事な事だよ。でも心配しないで、ただ映画を見にいって!」

─ あなたのヒーローはシルベスター・スタローンだと聞きましたが。

ジャッキー・チェン ; 「またまたそのとおりだよ!シルベスター・スタローン…彼のボディは美しい。彼はそんなに身体は大きくないんだ。アクション・スターの中にはもっと大きい人がいる。でもスタローンのボディは各部がとてもクリアに見えるんだ。」

─ あなたの好きな監督は?

ジャッキー・チェン ; 「スティーブン・スピルバーグだよ。彼はすばらしい才能を持っていてベストな監督だ。彼と一緒に仕事をしてみたいよ。ジェームズ・キャメロンとジョージ・ルーカスとも働いてみたいな。」

─ あなたの好きなアメリカのミュージカルは?

ジャッキー・チェン ; 「『サウンド・オブ・ミュージック』だよ。僕の好きなアメリカ映画だ。7回見たよ。他に7回も見た映画なんて無いな。『ゴッドファザー』でさえもね。バスター・キートンはアメリカ映画の僕のアイドルなんだ。若かった頃彼からいろんな技を盗んだよ。」

─ 好きなアクターは?

ジャッキー・チェン ; 「ジョディ・フォスター。彼女には才能がある。監督のやり方もわかっている。すばらしい女優だし、昔は子役だった。女優の中にはきれいなだけという人もいるが、彼女はほんとうに映画の作り方を知っている。」

─ テレサについて教えてください。

ジャッキー・チェン ; 「テレサ・テン。彼女はポップ・スターでぼくは彼女が大好きだった。自分の方がもっと好きだけどね。心は2つの主に仕える事はできないからね。彼女は1995年に43才でぜんそくで亡くなったんだ。」

─ 現在はどこが活動の拠点ですか?

ジャッキー・チェン ; 「カリフォルニアだよ。ビバリーヒルズに300万ドルで大きな家を買ったんだ。ベッドルームは4つ、大きな車庫、プールがあるよ。」

─ 好きな音楽は?

ジャッキー・チェン ; 「ゆったりとした音楽。そういうのが好きなんだ。ゆっくりしたテンポの曲はぼくの英語を改善してくれる。女の子に『いつも君の事を想ってるよ。』なんて言う時にね。」

─ あなたはよくブルース・リーと比べられますよね?嫌になったりしませんか?

ジャッキー・チェン ; 「そうだね。彼が亡くなった後、ぼくは自分を彼に似せようとした、いっしょうけんめいにね。でも失敗した、それで自分らしくやろうと決めたんだ。おどけ役をやるんだ。リーはやらなかった。カンフー映画に始めてユーモアをもたらしたのは僕だよ。ブルース・リーは一度もやらなかった。」

─ 人はあなたをマッチョだと思ってますよ。

ジャッキー・チェン ; 「マッチョ?僕が?ぼくはマッチョじゃないよ。アメリカ映画のヒーローはマッチョ的すぎるよね。ぼくは絶対にマッチョじゃない。自分はクレイジーだってわかってるけど、危険は冒さないよ。」

─ あなたはアクションの振り付けが無い唯一のアクション・スターだと聞きましたが、事実ですか?

ジャッキー・チェン ; 「事実だよ!振り付けされたアクション…そうだね、ヴァン・ダム、(スティーブン)セーガル、(チャック)ノリス…彼らは細かく決められたファイトをやるんだ。僕はやらない。そういうやり方は必要な激しさを奪ってしまうと思うんだ。僕は現場でファイトを組み立てるのが好きなんだよ。僕はよくあたりにある物を使うんだ、椅子とかカートとかベンチとかね。」
— ジャーナリストに私生活をのぞき見されそうになった時は、どう対処していますか?

ジャッキー・チェン ; 「嘘をつくよ(笑)。以前に、僕はよく個人的な質問はしないでくれって言ってたんだ。よく嘘もついていた。ジャーナリストに恋人はいるのかと聞かれればいないって答えていた。だって一度恋人がいるって答えたら、ある女の子のファンが自殺しちゃったんだよ。地下鉄に飛び下りたんだ。他の女の子はぼくのオフィスで毒を飲んだ。でももう嘘はつかない。嘘をつくのは嫌いだからね。」

─ 今、わたしに何か嘘をついていますか?
ジャッキー・チェン ; 「ノー!(笑)たぶんね。」

─ 世界のあちこちに自分の家があるんですか?

ジャッキー・チェン ; 「派手なホテルは嫌いだからそうしたいと思ってるんだ。五つ星のホテルに泊まるのは好きじゃない。一緒に働いている人たちと暮らせるアパートメントが欲しい。または家ね。」

─ 失敗した最悪のスタントは何ですか?

ジャッキー・チェン ; 「ユーゴスラビアで40フィートの木から飛び下りた時かな。自分では簡単に思えたんだけど、頭皮がはがれたんだよ。耳や鼻から血が吹き出した。で、ユーゴスラビアは国から出してくれなかったんだ!手術から7日経ってやっとパリのアメリカン病院に移る事が許された。スタントを失敗するのって嫌いなんだ。」

─ 学校には長くは通わなかったんですか?

ジャッキー・チェン ; 「学校には通ったけど、あまりいい教育は受けられなかった。英語も上手に話せないし中国語の読み書きもできないんだ。読む方は覚えたけど書く事は全然できないんだ。」

─ あなたは潔癖症だと聞きましたが……

ジャッキー・チェン ; 「悪い言葉とダーティなジョークに関してね。僕の映画には悪い言葉もダーティジョークも出てこないんだ。セックスシーンも無いから、家族で見れるし誰も気恥ずかしい思いをしないよ。『ラッシュアワー』で床に落ちてる新聞を拾ってゴミ箱に捨てるシーンがあるんだ。子供たちを教育したいんだよ。」

─ あと、あなたはこう呼ばれるのが嫌いだと聞いたのですが……

ジャッキー・チェン ; 「チビって言われる事ね。ほとんどの人に172cmだって思われてる。僕は179cm、72kgだよ。忘れないで載せてね!」

─ アメリカで映画を撮るのは好きじゃないと聞きましたが。

ジャッキー・チェン ; 「アメリカでは自分が撮りたい映画を撮れないんだ。先ず、保険会社がやらせてくれない。アジアにいた時からどこの保険会社のブラックリストにも僕の名前が載っていた。アメリカでは特撮が全てだ。本物のアクションは無い。僕はリアリティが欲しいんだよ。」


 

ジャッキー・チェンとブルース・リー

ジャッキー・チェンとブルース・リー

 


 

ジャッキー・チェン インタビュー(2007年 マイナビニュース)
─ 酔拳の日本語吹替版と吹替を担当されている石丸博也さんについて、聞かせてください

ジャッキー・チェン 「以前、石丸さんがいるアフレコスタジオに行ったことがあるんだ。ずいぶん前だから、どの作品かは忘れてしまったけどね。彼がずっと僕の声をあてているのは、もちろん知っているよ。彼は僕の表情までうまく吹替えてくれてると思う。今後も、彼に僕の声をあててもらいたいな。他の人に代えたりしたら合わなくなると思うからね。彼の吹替を聞いたら、誰もが気に入るはずだよ」

─ 『酔拳』に出演した理由や、きっかけは何だったのでしょうか?

ジャッキー・チェン 「僕も最初は『酔拳』に出演するとは思ってなかったんだ。あの頃は、以前契約していた会社で、僕の望む映画ではない映画に出ていてね。すべて監督の言いなりだった。あの頃は、『蛇鶴八拳』や『少林寺木人拳』を撮ってて、スタッフもみんな若かったからいろいろ悩んで試行錯誤していた。それで、いろいろな拳法をやったんだ。『五形拳』や『蛇拳』なんかもね。『蛇拳』が注目されたおかげで、次の『酔拳』が撮れたんだ」

─ 『酔拳』は酔っぱらった演技が有名ですが

ジャッキー・チェン 「そうだね。あの作品のために、色々したよ。劇中同様、毎日お酒を飲んで、ずっとほろ酔い状態でいようとしたんだ。演技もきっとよくなると思ってね。皆が撮影のセッティングをしてる時に、少し飲んで、また飲んで、人がいなくなったらまた飲んで、夜食のあとにね。酒はすぐに酔わず、徐々に来るだろ? 本当にほろ酔い状態で酔拳を撮りたかったんだけど、それはできなかったよ。都合よくほろ酔いにはなれないね」

─ 『酔拳』撮影当時と今を比較すると、映画撮影現場はどう違いますか?

ジャッキー・チェン 「今は世話をしてくれる人が大勢いるけど、当時は一人もいなくて、自分で現場に行ってたね。そして1日に、70〜80カットも撮るんだ。それもすごく暑い日にね。急いで撮って、カット。そしてすぐに撮り直し……。全身汗だくだったよ。それでも、みんなが寝しずまってから、一人ホテルで、拳法のポーズをどう綺麗に見せるかを考えていた。別に人を殺すわけじゃないから、酔拳の動きにダンスを取り入れたんだ。ブルース・リーとは全く違うスタイルにしたかったんだ。喜劇の中で、武術の演技をどう見せるかを真剣に考えて、あのポーズは本当に自分で頑張って作ったんだ。振り返ってみると、「今頑張れば30年後に大スターになれる」と言われたら頑張るけど、当時は将来なんて考えてなかった。ただこの映画を良くすることしか考えてなかったよ。大変だったけど、”大変だった”なんて今だから言えるんだ。苦労には代償がある。僕はその苦労で今日の地位を手に入れたんだ。あの時あんなに頑張った自分を褒めてあげたいよ」

─ ジャッキーさんにとって『酔拳』は大切な作品なんですね

ジャッキー・チェン 「そう。僕にとって『酔拳』は、世界に名を知ってもらうチャンスをくれた作品。でもこれから初めて『酔拳』を観る人には、現代の目線だけで見てほしくない。当時としては斬新で貴重な映画だし、僕の代表作のひとつと言えるしね」

─ ジャッキーさんが考える”理想的な俳優像”とは?

ジャッキー・チェン 「良いアクション俳優である以外にも、良いコメディアンであり、良い演技をする役者だと証明したい。最終的には万能な俳優になる。万能な俳優は少ない。万能な俳優は、喜劇も悲劇も、喜怒哀楽すべて演じられる。監督も脚本も編集もできる。自分で社長もやれる。ずいぶん昔に、自分を奇跡だと思った。多くのアクション俳優の中でまだ生き残ってる。タイトルも自由に決められて、何でも自分でできる。だから僕は幸運だと思う」

─ 最後に、ジャッキーさんの映画に対する対する思いを聞かせてください

ジャッキー・チェン 「僕は映画製作にとにかくすべてを捧げている。僕にもし誰かが10万ドルくれたら、僕は50万ドルの価値の映画を撮ってみせる。僕はそういう人間だ。映画を撮りながら自分のものを人にあげてるような状態なんだ。僕は映画を愛してるから。その気持ちがあるから僕の映画は成功するんだ。どの映画にも心血を注ぎ、自分の命まで注ぎ込むからね。僕はどんな事も映画のためにやるんだ」

 


 

ジャッキーチェン河合奈保子

ジャッキーチェンと河合奈保子

 

「愛のセレナーデ」というデュエット曲をリリースしました。

恋人の噂になったこともありましたね。


 

ジャッキー・チェン&真田広之 インタビュー「ラッシュアワー3」(2007年 シネマトゥデイ)

─ ライトアップされた美しいエッフェル塔でのお2人のファイトシーンがダイナミックで、素晴らしかったのですが、あのシーンはどのように撮られたのでしょうか?

ジャッキー・チェン : 映画を撮る前に、パリに2度エンジニアと一緒にロケハンに行って、どこが撮れて、どこが撮れなくて、どういうのが危険で、どういうのに許可が下りないのかということを調べたんだ。実際の撮影期間は7日間で、ほとんどのシーンは現場で撮ったけれど、大きく跳ぶシーンなんかはCGを使っているんだよね。とにかくエッフェル塔の上での撮影はすごく大変だったよ。

─ 初共演されて、印象に残っていることはどんなことでしょうか?

ジャッキー・チェン : 真田さんとのファイトシーンで、「彼はこんなにスゴイんだ」と、改めて知ったということだね。僕は、現場で武術指導もやっていたんだけれど、真田さんから「こういう風にやったらどうだろう、ああいう風にやったらどうだろう」という意見をもらったんだよ。それで実際出来上がったものを観たら、すごく動きがきれいだった。今までいろんな人を相手に闘ったけれど、うまくても、動きがきれいじゃない人が多かったからね。でも、今回の撮影を通して真田さんの能力のすごさに感心したよ。ここまですごいとは思っていなかった……。

真田広之 : シェイシェイ(ありがとうございます)。

ジャッキー・チェン : 人によっては1度っきりで、もう2度とやりたくない人もいるね。10月に別の映画を撮るので、この映画を撮り終わってすぐに、真田さんに、またぜひ出て欲しいと話したんだ。「撮り終えたばかりなので、少し間を置きたい」と返事があったんだけど、ぜひまた一緒にやりたいと思っているんだ。

真田広之 : 初めて共演して、本当の意味で彼の素晴らしさを再認識しました。クリエーターとしてもそうだし、スーパースターとしてもそうだし、ご自身もそうだし、メンバーも含めて……。僕自身、何から何までケアしてもらったので、毎日が楽しくてしょうがなかったですね(笑)。

─ どのシーンが一番印象に残っていますか?

真田広之 : ドラマの要にもなっている、最後のシーンですね。かつて兄弟のように育った2人が再会して、敵と味方に別れて闘わざるを得ないというエキサイティングなんだけれども、ちょっと切ないところ……。役作りにしてもジャッキーとは20年来の知り合いで、同じ時代をアジアで育ち、生きてきて、肉体を駆使して、異国の地で初めて組んで、一緒に仕事をしている……。そんな20年間の2人の歴史物が、役に自然とオーバーラップして、台本を読んだときに、このシチュエーションでジャッキーと組めば、ほっといてもこういう感情がにじむだろう……という思いがありました。まさに現場はその通りで、役を作らなくても自然にわいてくるお互いの思いがあって、それがそのまま作品に反映した気がします。

 


 

ジャッキー・チェン インタビュー「ドラゴン・キングダム」(2008年 goo映画)

─ このプロジェクトはどのような経緯で実現したのでしょうか?

ジャッキー・チェン : 15年前にもジェットと共演したいと思っていたんだ。そのための脚本もできあがってたんだけど、会社間や配給の問題などがあって、結局一緒にできなかった。アメリカでも一緒にやろうという話があったんだけど、そのときの脚本はあまり気に入らなくてね。話が流れてしまったんだ。
たまたま、今回のプロデューサーから「2人を主演に撮りたい」と連絡をもらった。今回を逃したらいつ共演できるかわからないから、この機会に撮ろうってことになったんだ。

─ ジェット・リーとの初共演はいかがでしたか。

ジャッキー・チェン : ジェットとはいままで知り合って20年で、友達ではあるんだけど、すごく親しい関係ではなかった。今回は一緒にやってみて、あまりうまくいかなければ15年前に考えていた脚本はナシにしようと思っていた。僕はいい奴だけど(笑)、相手がいい人かどうかわからないからね。
でも、一緒にやってみてなかなか良いなと思った。少なくとも、ジェットと僕とは性格が違うんだ。彼はすごく内向的で、僕はすごくやんちゃ。津波(2004年、スマトラ沖地震による大津波)があってから彼は宗教を信仰するようになって、時間があると、読経をしたり、座禅を組んだりする。僕はいままでそういったものを信じたことがないんだ。2人はまったく違うタイプだね。
今回、ジェットと一緒に仕事をしてすごく楽しかったよ。15年前に考えていた脚本を焼き直して、今度はアジアでジャッキー・チェンとジェット・リーの映画を撮りたいと思ってるんだ。この映画はアメリカ映画だからね。

─ 脚本にもお二人の長所がよく表れていましたね。『酔拳』や『蛇拳』を彷彿とさせるシーンもありますが。

ジャッキー・チェン : 脚本家は中国の文化が好きで、僕とジェットのことを良くわかっていたんだ。過去の僕の映画を全部観て、脚本に取り入れたんだろうね。この映画の中で、男の子(ジェイソン/マイケル・アンガラーノ)がやっている修行は、僕が昔、映画の中でやっていたことや、僕が実際に学校でやっていたことが入っている。ジェイソンの役は昔の僕で、僕の今回の役柄は昔の師匠なんだよね。

─ アクション監督のユエン・ウーピンとは約20年ぶりの再会でしたが、彼との仕事はいかがでしたか?

ジャッキー・チェン : 彼は大先輩で、僕も彼にはすごい敬意を表しているよ。以前はただの武術指導だったけど、彼はいまは師匠クラスだね。

─ あなたはハリウッドで最も成功したアジア人俳優になりましたが、成功の秘訣は何だったと思われますか。

ジャッキー・チェン : 他の人とは違ってたということだろうね。僕はジャッキー・チェン独自のアクションスタイルを持っているから。僕のアクションは、アクションがあっても残酷ではないし、下品でもない、笑いがある。
そして、世界中の観客が、僕のルックスやユーモアを受け入れてくれているということ。僕は背が高いわけでもないし、ハンサムでもない(笑)。でも、どうしてかはわからないけど、アフリカや中近東に行っても、たくさんのファンがいてくれるんだ。いつも不思議だなって思ってるんだけど(笑)。

 

 


 

ジャッキー・チェンの自伝
意味「永遠の少年 ジャッキー・チェン自伝」

ジャッキー・チェンの自伝「永遠の少年」には、 挫折と成功、命がけの撮影、切ないロマンス、黒社会との関係、隠し子問題、息子の大麻事件、引退や生死について等、映画を超えるような秘密エピソードが満載です。

ジャッキー・チェン;
最初にスタントマンになったときは、一日5ドル(香港ドル、以下同)の稼ぎで、しばらくしたら35ドルに上がった。汗を流して血を流してそれっぽっちの金を稼ぐと、ギャンブルに興じた。30ドル勝てば60ドル賭け、60勝てば100賭ける。だけど、結局は負けるから、貧乏神がつきまとっているのかと思った。ときどきいっきに300ドルあまり、つまり10日分の給料を負けたりするから、そういうときはとくにしょげた。それじゃ飯すらも食えないし、物なんかとても買えない。あのときから、金持ちの連中がとにかくうらやましかった。連中はほしいものをほしいだけ買える。

自分で金持ちになった後、どうやって買い物をしたか、知りたいか?

ロンドンでハイブランドのブティックに行くとなると、店はそのために一般営業をしないでくれるから、結局は何箱分も買ってしまう。何と言っても、この貸し切りの待遇に見合った金額の物を買わないとまずいだろ? 店まで閉めてくれているのに、買うものはベルト1本だけとか、どう考えてもなしだ。

いつも物を買うときは、店の人に、壁に掛けているこの鞄と、これと、これは、いらない。あとはぜんぶいる、と言う。これらのメガネの中で、この3つだけ、いらない。あとはぜんぶいる。これとこれとこの靴はいらない。あとはぜんぶいる。買ってホテルに戻ると、友達と同僚が集まってきていっしょに物を分けてくれる。これが誰に贈る物で、あれが誰に贈る物かは、ぜんぶはっきり覚えている。長年ずっとそうだ。人に貸した物は覚えていないが、贈ると約束した物、あるいは贈ると決めた物は、何でもはっきりと覚えている。

世界的に有名になった後は、いろんなブランドといっしょにコラボ商品を出すのが好きだった。ジャッキー・チェンのワイン、ジャッキー・チェンのスーパーカー、ジャッキー・チェンのメガネ、ジャッキー・チェンの服……というように、ブランドがときどきジャッキー・チェンの限定版を出してくれる。売れ行きもいいが、本当に限定数しか作らないから、売り切れたら終わり、ということが多い。するとすぐに売り切れてしまって、自分で買えなくなるのが怖くなり、世界中からまた買い集める。

ワインのときにそれを1回やって、プレミアがついていたから、定価の数倍の値段で買ったりした。好んでよく掛けていたコウモリデザインのサングラスも、最初は2つのブランドがいっしょに出してくれたが、追加で作ってほしいと言うと、その二つのブランドのあいだで齟齬が生じ、仲違いしたから、作れなくなった。それで、出回っている物をぜんぶ買い取った。いま、このメガネを持っているのは僕だけで、もうどこにも売っていないはずだ。

いま考えると、こうやって物を買っているのは、子どもの頃貧乏だったからで、貧乏のせいで苦労したことをぜんぶ補おうとしているんだろう。だから何でもほしくなれば買い、しかもたくさん買ってしまう。ワインを買うときは、いつも蔵元の倉庫にある物をぜんぶ買う。飲むためではなく、自分の家の酒蔵を埋めるためで、埋めた後はそのまま動かさないし、飲みもしない。飲みたいときは別のところからまた買ってきて飲む。

本を買うのにハマった時期もあって、家にある大きな本棚をぜんぶ埋めた。家をリフォームしたときは、海外からリフォームの雑誌を3冊ずつ買い、本棚に1冊置き、自分で1冊見て、デザイナーにも1冊見てもらう。これでやっとコミュニケーションが図れる。ああいう洋書はみんな高いんだよ。

本当を言うと、いま本棚にある本はほとんどすべて、買ってきてから一度も読んだことがない。よく覚えているのは、昔、メディアが家に取材に来たとき、事務所の人に本を何冊か選んで取りだしてもらっては、透明なカバーを剥がし、わざと中にしおりを挟んだりして、あたかも読んでいるかのように見せようとしたことだ。自分が持っている本はぜんぶ飾りだと見抜かれるのが怖かったのさ。
ある年、TVB(香港の民間テレビ局、無線電視の略称)がパーティーを開いた。あの頃、たしか連中は毎年のように宴会を開いていたかな。ちょうどその前後、ジョニー・トーと組む話をしていて、彼はその宴会に行くと言うから、じゃ僕も行って、そこで会おうということになった。

あのとき、自分は招待者リストに入っていなかったから、主催者側に迷惑をかけないために、ほとんど人には言わず、一人でこっそりと忍び込んで、ジョニー・トーの席を見つけると、しゃがんだまま素早く移動して彼に近づいた。当時はまだケータイがないので、そこでしゃがんだままジョニー・トーと話して、このあとの待ち合わせ場所を決めると、また人知れず出ていこうとした。

このとき、壇上の人に見つかってしまい、その人は、「おっと? “大哥”(ジャッキーの愛称)がいらっしゃいますね、“大哥”もぜひ協力してくださいよ」と言った。何のことか分からず、ひとまず立ちあがっては、手を挙げてみんなに挨拶するつもりだったが、壇上の人はすかさず「よし! “大哥”が50万ドルを出すと!」と言った。あっけにとられた。何でわけが分からないうちに50万ドルを出すことになったんだ? あの時代で50万は大金だったよ。連中が冗談を言っていると思ったので、ジョニー・トーに挨拶をしたあと、立ち去ろうとしたが、そのときに後ろのほうで「50万ドル1回目、2回目、3回目」と聞こえ、で、ドンと、小槌の音。「“大哥”、ありがとうございます!」と言ってくる。オークションに参加させられていたわけだ。

少しばつが悪かったが、何て言えばいいか分からず、しかたなく立ち去った。スタッフの人には、物は何だとしても、おれの事務所に送ってくれればいいよ、と言い残した。そのあとはジョニー・トーに、お前に会っただけで、50万がとんでしまったよ、と文句を言ってやった。で、物が届けられると、やっと自分が買ったのは徐悲鴻(ジョ・ヒコウ)の絵、大型の、馬を描いた絵だったとわかった。これが縁というものかもしれない。

いま、家を訪れる人たちはこの絵を見ると、これは高価だと言ってくれる。自分にもそれはどれくらいの価値があるか、よくわかっていない。数千万ドルだと言う人もいるし、数億だと言う人もいる。どっちでもいいことだ。そのあと、何回か、慈善活動をやったとき、オークションに出そうと思ったが、毎回同じ人物に止められた。それは、ほかでもない、ジェイシー(ジャッキー・チェンの息子)だ。彼は、「親父、あなたの金はいらないから、この絵だけは残してほしい」と言う。だから「いいよ」と言った。

いまはもう考え方が昔とだいぶ変わったよ。香港の家には物がありすぎて、倉庫何個分にもなるから、だんだんと負担に思えてきた。君が見たらびっくりすると思うよ。いま、上海で自分の博物館を作り、「成龍電影芸術館」と呼んでいる。40数年で使ってきたすべての映画小道具・大道具を中に入れている。コンテナ計47個分、すべて芸術館にある。もちろん、展示する前に、金を出して、壊れた物、自転車とかバイク、車、ヘルメット、メガネなどを直している。いつかは別の場所で、「成龍世界」という記念館を建てて、そこに自分の全コレクションを入れて展示したいと思う。購入した古い家屋とかは、シンガポールに寄付した4棟以外も、いつかはすべてどこかに寄付するつもりだ。

とにかく、昔は何でも買いたかったが、いまは何でも寄付したいと思う。これらすべてのものをジェイシーはいらないと言う。徐悲鴻の絵だけがほしいと言う。欲しいならあげようと思う。じつは、十数年前に、すでに全財産の半分を、慈善基金会に寄付している。

自分のことを幸運だと思っている。有名になった後は、すばらしい家庭に恵まれた。ジェイシーはもう自分で稼げるし、妻は最初から金持ちだ。彼女も息子も、こっちの金など必要ないだろう。いまは、会社の運営資金と家族の各種の支出を払って、彼女達にあとの心配さえ残さなければ、後はひたすら寄付するだけだ。

金持ちが死んだあとに、遺族が財産を争う場面をたくさん見てきた。母親が息子を訴え、息子が娘を訴える。自分の家族がそうなるのは絶対に嫌だ。いまの目標は、死んだときに、銀行の貯金がゼロになることだ。

<手抜きゼロの映画づくりとアクションへの徹底したこだわり>

映画を撮るときは、予算を気にしたことがない。この業界で、誰もが知っていることだ。

「ジャッキー・チェンの映画に出るときはギャラではなく、月給をもらうべきだ。撮影期間分の月給がもらえたら、もう大金持ちで、家が買える」

これは有名な話だ。香港の映画業界では、

「“大哥”の映画に1本でも出れば、家が買える」

とまで噂されている。要するにいつもものすごく時間がかかるというわけだ。『酔拳2』で、10分間の殺陣のシーンを撮るのに、3ヵ月半もかかった。1つのショットに2日をかけた。こういうことを他の誰もしない。自分でも、頭が狂っていると思う。

7日かけて1つのショットを撮ったこともある。『奇蹟/ミラクル』で、クェイ・アルイ(同作に出演した女優)の生活環境を表現するために、構想としては、移動の長回しを使って、1階から上がって4階の部屋まで行き、そこでほとんどクローズアップになるくらいに寄る。その途中には、人力車があり、1階2階では人々が食事中で、洗濯物を干している場所には鳩がとまっている。4階のクェイ・アルイの部屋に行くと、そこでクローズアップ。すべてワンショットで決める。

当時、クレーンを建てる技術は遅れていた。アメリカには専用の機材があって、これを伸ばせば100メートルにもなるから簡単だが、こっちにはそういう技術がない。したがって、いい効果がほしいなら、一から、地道にクレーンを建てねばならない。けっきょく、通り全体を借り切って、クレーンを建て、撮り終えると反対側に移して同じことをもう一度繰り返した。

基本的にどのショットも、撮影の段階で、そっくり自分の思った通りでなければ、オッケーは出さない。現場のエキストラだって、よく成家班(ジャッキーのスタントチーム)の人たちがやっている。この場合、人力車の引き手、露天商、通行人など、全員成家班だ。連中はふつうのエキストラより、こちらのほしいものを分かってくれる。

『奇蹟/ミラクル』のそのショットは、アクションと言ったら、ただちに炒め物のコンロに火がつき、キャメラが下から2階まで来ると、飯を食っている2人がいる。そのときに、鳩が入ってきてとまる。キャメラもついていって、中で1周してからまた戻ってきて、クェイ・アルイの顔を大写しにする。けっきょく、このショットは7日もかかって、ようやく満足のいく出来になった。

『奇蹟/ミラクル』ではシークエンス・ショットを多用した。アニタ・ムイが写真に撮られるところのショットも、カーテンを掛ける人が必要だった。ある編集スタッフが、「“大哥”、どうせここは顔が映らないから、自分にやらせてくれないか。自分も役者になるのがどんな感じか、知りたい」と言ってきた。かまわないよ、と言った。そのとき彼は26時間もそこでカーテンをかけつづけた。撮影は一昼夜に渡ったわけだ。撮り終えると、彼は、「もう二度と役者にならなくていい」と言った。

あと、何人かの女の子、たしかみんな銀行に勤めてる事務員の子たちだったのかな、その子たちが遊びに来たときに、ちょっと出てみないか、まあ遊びだと思えばいいから、と誘った。彼女たちは乗り気で、嬉しそうに了承した。そのときも、彼女たちをひたすら現場で歩かせ、けっきょく一晩中歩かせた。終わったあとには彼女たちも、「もう二度と映画に出たくないわ」と言った。

映画の中で、動きと表情は、世界のどこでも通用する言語だ。なぜ、“成龍映画”が世界中で人気なのか? 観る側に、ボディランゲージで、話しかけているからだ。台詞を聞く必要もない。からだと、動きとを見れば、何が起きているのかが分かる。テーブルを乗り越えると、茶がこぼれ、コップに手を添えると、火傷をしたような動きと表情をする。観客からすれば、一目瞭然だし、ユーモラスだ。

アクション映画を何年か撮ったあとに、

〈アクションはあるが残忍ではない、笑いはあるが下品ではない〉

これをモットーにすることにした。低俗なものはいらない。映画を撮りだした頃、興行成績はよかったが、一度、友だちに、ジャッキー、君の映画はいいが、自分の子どもには観せられない。暴力的なシーンがあるし、子どもに見せたくない冗談もある、と言われた。その言葉に衝撃を受け、以降、映画を撮るときは、息子のジェイシーに観せられるか? と自問するようになった。自分の子どもが観ていいのなら、よその子も観ていいはずだ。それなら、世界中の子どもたちが、みんな観ていいはずだ。

何年も後になって、『ドランクモンキー 酔拳』を観直すと、これはよくない。酔っぱらってけんかすることを教えてどうする? と思った。だから、『酔拳2』を撮るときは、酒を飲むな、けんかをするな、と教えるようになった。自分の間違いを正すと、嬉しくなる。昔、映画を撮るのは金のためだったが、いまは、好きでやっているだけだ。いい脚本があったら撮るし、なかったら撮らない。脚本が面白かったら、ギャラが少なくても問題ない。

いまのカンフー映画は、ワイヤかなんかで飛び回っているものばかりだ。こういう映画がいけないというわけではないが、自分だったら絶対に撮らないし、撮れない。“成龍映画”のどこが違うのか。それは、何でも、本当にやることだ。昔からそうだ。全世界の、“成龍映画”のファンはみんな知っている。

じつは、いまはハリウッドでも中国国内でも、予算を気にせずに映画を撮れるところは少ない。だいたいの資本は、数千万で1本、撮れたら終わり。アメリカにいるときでも、向こうの人に、スケジュール通りにこの映画を撮りたいのか、それともいい映画を撮りたいのか、と聞く。もちろん、みんな後者だと言う。それなら、いい映画に仕上げるために、撮影をあと1週間延ばせないかと聞くと、だめだと言う。財務会計上、出来ないことだと言う。

だけど、自分で監督をやって、自分の資本で映画を作るときは、絶対にそういうことをしない。いつでも、予算を気にせずに撮っていく。いちばんいい出来になるまで、撮りつづける。だからこそ、“成龍映画”はいつでも外国映画に引けを取らない。同じように有名で、負けないくらいに興行収入を得ている。『バットマン』や『スパイダーマン』のような映画には勝てないかもしれないが、殺陣の入ったカンフー映画だったら、絶対に負けない。自分で監督をやって、殺陣の振り付けもし、かつスタントも自らこなす。ハリウッドにはそういう映画がない。

みんなによく話しているエピソードがある。スピルバーグに会ったときの話だ。最初に彼を見たときは向こうが大監督だから緊張して、どういう話をすればいいかも分からなかった。彼は部屋に入ってくると、すぐに嬉しそうに「ワオ、ジャッキー・チェン」と声をかけてきた。つづいて、自分の息子にサインをしてくれ、と頼まれた。

サインをしているときは、2人とも無言だから、少しきまりが悪い気がして、何か話題をしぼり出そうと、頭をフルに回転していた。サインを終えると、彼に、あなたの『E.T.』や、『ジュラシック・パーク』のような映画は、SFXをどうしているんですか、人を恐竜といっしょに映して、あんなに自然にできるのはなぜですか、と聞いた。彼は、ああ、簡単なことだよ、俺はひたすら何種類ものボタンを押しつづけるんだ。「ボタン、ボタン、ボタン」だよ、と言った。

すると今度はスピルバーグが、あなたこそ映画の中であれだけのスタントを、ビルから飛び降りたり、渓谷から飛び降りたり、あれはどうしてるの? と言うから、もっと簡単です、「ローリング、アクション、ジャンプ、カット、ホスピタル」ですよ、と答えた。

 


 

ジャッキー・チェンが愛される理由(日刊ゲンダイ 2016年5月29日)
2016年(平成28年) 7月に最新作「SKIP TRACE」(米中合作)が公開となり、主演を務めるジャッキー・チェン(62)。崖からの飛び降りやいかだでの急流下りなど、いかにもジャッキーらしい危険なシーンも満載だという。

2014年に息子で俳優のジェイシー・チャンが薬物逮捕された。最近も、パナマ文書に名前が挙がっており、この手の話題にも事欠かない。そして、われわれ日本人は、ついジャッキー・チェンのネタに反応してしまう……。

なぜ、いまだにジャッキー・チェンは、こんなに人気なのか。

その不思議な魅力について、映画サイトでシネマレビューを掲載する澤 宗紀氏は、こう分析する。

「ジャッキー映画は、もう5000回は見ているほど大好きです。ジャッキー・チェンについてみんなが思い浮かべるのって、愛嬌のある笑顔ですよね。でも、実は女性問題や政治的発言、息子の薬物逮捕などダークな面もよく見せる。なのに、あの人間味あふれる笑顔のおかげで『まあ、いいか』となるんですよ」

まずは笑顔キャラというのがポイントなのだ。加えてもうひとつ。

「ジャッキー・チェンの映画はワンパターンが多い。体を張ったアクションと、ボケの効いたお笑い要素。登場人物も、サモ・ハン・キンポーやユン・ピョウだけでなく、多くの人が多数の作品にわたってカブっているんです。日本人はワンパターンが好きで、『この後こうなるぞ!』『今一瞬でやられた人、あの作品ではボスだったのに……』と話題を膨らませて楽しむんですよね」

吉本新喜劇と同じである。パターンが決まっているからこそ展開を読みながら楽しめるのだ。マンネリは飽きられるリスクも高いが、「ジャッキーって小学校のときの担任みたいなものなんですよ。一時期は反抗期になって洋画に走っても、ふと思い出して戻ってくると、まだスクリーンの中で同じことをやっている。そんな感動や安心感があるんですよね。『まだやってたんだ!』と、懐かしくてうれしくなるんです」。

5月に北京市で行われた冒頭の最新作PRイベントでは、今の若手俳優たちに対して「甘やかされていて、ひ弱すぎる」とコメント。確かに、若手には師のような立場でもある。

最新作に関して澤氏は、「60歳を過ぎたジャッキー・チェンがアクションをどこまでやれるのか。そういう楽しみでつい見てしまう人は多いのではないでしょうか」と言う。きっと今作も「まだやってたんだ!」と誰もが笑顔になるに違いない。


 

ジャッキー・チェンの出演動画
意味<主なジャッキーチェン 映画 一覧>
ファイティング・マスター 頂天立地(1971年)
ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門 (1974年)
少林寺木人拳 (1976年)
成龍拳 (1977年)
蛇鶴八拳 (1977年)
カンニング・モンキー 天中拳 (1978年)
スネーキーモンキー 蛇拳 (1978年)
拳精 (1978年)
龍拳 (1978年)
ドランクモンキー 酔拳 (1978年)
クレージーモンキー 笑拳 (1979年)
ヤングマスター 師弟出馬 (1980年)
キャノンボール (1981年)
ドラゴンロード (1981年)
プロジェクトA (1983年)
スパルタンX (1984年)
ポリス・ストーリー 香港国際警察(1985年)
奇蹟 ミラクル (1989年)
ラッシュアワー (1998年)
タキシード (2002年)
ドラゴン・キングダム (2008年)
ベスト・キッド The Karate Kid(2010年)
新少林寺 (2011年)

 

 


 

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